新選組の屯所【西本願寺】の見どころは?駐車場や実際に行った感想も!

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京都を訪れたら外せない、幕末の雰囲気が色濃く残る西本願寺。新選組の屯所としても知られ、多くの歴史ファンにとっては見逃せないスポットです。

しかし、初めて訪れるとなると、どこに注目すべきか、駐車場はあるのか、実際のところどうなのかという点が気になるものです。この記事では、西本願寺の見どころを詳しく紹介し、訪れた際の役立つ情報を分かりやすく解説します。

ぜひこの記事を参考にして、西本願寺の魅力を堪能してみてください。

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西本願寺とは?

西本願寺

西本願寺は京都市に位置する浄土真宗本願寺派の総本山です。

この寺院は親鸞聖人の教えを核とし、日本の仏教宗派の中でも特に大きな影響を持つ場所の一つです。美しい建築と共に、平和を象徴する場として多くの人々に親しまれています。

西本願寺の歴史

西本願寺は、親鸞聖人が90歳で亡くなった後、京都東山の鳥辺野北部の大谷に設けられた簡素な墓地から始まります。

親鸞聖人の教えを継ぐ意志に溢れた末娘の覚信尼や門弟たちが、遺徳を後世に伝えるため、親鸞聖人の遺骨を大谷から吉水北に移し、六角形の廟堂を建立しました。この廟堂は後に大谷廟堂と称され、覚信尼によって土地が寄進され、彼女の家系が留守職を務めることとなりました。

覚如上人は第3代留守職として、浄土真宗の教えを広め、親鸞聖人の孫である如信上人からの教えを受け継ぎ、正式に本願寺と称されるようになりました。この時から、親鸞聖人の影像や阿弥陀仏像が設置され、次第に信者たちが集まるようになりました。

室町時代には蓮如上人が第8代留守職として教えを広め、その平易な説法は多くの支持を集めました。しかし、その影響力が増すにつれて、対立する宗派からの攻撃も受け、最終的には石山本願寺を築き、そこで織田信長との間で石山戦争を戦いました

戦後、顕如上人が和議を結び、大坂石山本願寺から現在の京都六条堀川に移転しました。ここで新たに寺基を築き、親鸞聖人の教えを更に固め、阿弥陀堂や御影堂などが整備され、本願寺の今日の姿が形成されたのです。

西本願寺と東本願寺の違いとは?

京都に位置する「西本願寺」と「東本願寺」は、共に浄土真宗の重要な寺院であり、それぞれが異なる宗派の総本山として機能しています。西本願寺は「浄土真宗本願寺派」の中心であり、東本願寺は「真宗大谷派」の中心です。地元では親しみを込めて「お西さん」「お東さん」と呼ばれています。

これら二つの寺院の分岐は、1570年から1580年にかけての織田信長と石山本願寺の対立から始まります。この時期、石山本願寺では和睦を推進する顕如と徹底抗戦を訴える教如の間で深刻な意見対立がありました。最終的に顕如が和睦を選択し、この決断が後の分裂を引き起こしました。

顕如は和睦後、豊臣秀吉から土地を寄進され、現在の西本願寺を建立しました。一方、教如は徳川家康の支持を得て、現在の東本願寺の場所に寺を建てました。この対立は両派の形成につながり、現在に至るまで続く西本願寺派と東本願寺派という二つの宗派に発展しました。

宗派ごとに異なる特徴があり、例えば法要の日程、御影堂と阿弥陀堂の配置、お経の詠み方や仏具の使い方に違いが見られます。江戸時代には対立が激しかったものの、現在では両派が和解し、浄土真宗教団連合の下で協力関係を築いています。

西本願寺と新選組

幕末の動乱期において、新選組は京都の治安維持を担う重要な役割を果たしていました。特に1865年(慶応元年)、彼らは屯所の手狭になった壬生から西本願寺へ移り、その広大な境内を利用しました。西本願寺は、その時、新選組の「本陣」として北集会所や太鼓楼を活用していたことが記録されています。

新選組は本願寺の広い空間を利用して、実弾射撃訓練や大砲の試射を行い、さらには食料確保のために豚を飼育するなど、積極的に活動の基盤を築いていました。しかし、これらの活動は本願寺の日常に多大な迷惑をかけるものでした。

結局、新選組は2年後に不動堂村へと屯所を移転しましたが、この移転費用は本願寺が負担する形となりました。

その後、新選組の二番隊伍長であった島田魁は、明治時代に入ってから本願寺の夜間警備員として働き、本願寺で亡くなるまで、新選組と本願寺の絆を象徴する存在となりました。彼は新選組の仲間たちを深く敬い、彼らの追悼として念仏を欠かさず唱え続け、土方歳三の戒名を記した布を大切にしていたと伝えられています。

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西本願寺の詳細情報

西本願寺の拝観時間や拝観料、アクセス情報を以下にまとめました。

定休日・拝観時間

定休日なし
拝観時間5:30〜17:00

拝観料

拝観料無料

アクセス

住所〒600-8501 京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
アクセス・JR・近鉄 京都駅より
京都駅 市バス『京都駅前』より9番,28番,75番(西賀茂車庫行など)に乗車、『西本願寺前』で下車。
京阪バス『京都駅八条口』より311番、312番に乗車、『西本願寺』で下車。

・阪急電車利用の場合
河原町駅 市バス『四条河原町』より207番に乗車、『島原口』で下車。
大宮駅 市バス『四条大宮』より18番,71番,206番,207番に乗車、『島原口』で下車。

・京阪電車・七条駅より
七条駅 市バス『七条京阪前』より206番、208番に乗車、『七条堀川』で下車。
公式サイトから引用

駐車場

西本願寺には無料の駐車場が併設されています。

バス約30台
自家用車約300台

※駐車場出入り口は、花屋町通側

西本願寺の見どころ

実際に行った際の写真も交えて、西本願寺の見どころを3つご紹介します。

新選組ファン必見!【太鼓楼】

西本願寺 太鼓楼

西本願寺の東北角に位置する太鼓楼は、歴史を感じさせる重層の楼閣です。

江戸時代には、この太鼓楼に設置された大太鼓が時刻を告げる重要な役割を果たしていました。幕末期にはこの地が新選組の一時的な屯所となり、彼らの活動の痕跡として太鼓楼には刀傷が残されているとも伝えられています。

新選組や幕末史に興味のある方にとって、太鼓楼は見逃せないスポットです。

豪華な装飾彫刻の【唐門からもん】

西本願寺 唐門

西本願寺の見どころの一つに、桃山時代の豪華な装飾が施された唐門があります。

この門は檜皮葺の唐破風四脚門で、その彫刻の細かさと美しさは訪れる人々を魅了します。その見事な彫刻のために時間を忘れてしまうことから、「日暮らし門」とも呼ばれています。

この唐門は国宝に指定されており、日本の伝統的な建築技術と芸術性の高さを感じさせる貴重な存在です。

親鸞聖人の木像を安置した【御影堂ごえいどう】

西本願寺 御影堂

御影堂は、親鸞聖人の木像を安置している特別な場所で、西本願寺の精神性を象徴する建物です。

御影堂は、親鸞聖人の600回目の大遠忌を控えた1859年に、大阪の講社が中心となって修理が施されました。その後も、親鸞聖人の700回及び750回大遠忌に向けて、幾度となく修繕が行われています。特に2006年から2009年にかけての修繕では、築地塀の改修と共に屋根の瓦を葺き替え、使用済みの瓦は南側に再配置されました。

御影堂は、その歴史とともに多くの訪れる人々に深い感銘を与えています。

西本願寺に行った方の感想

実際に西本願寺に行った方の感想を紹介します。

多くの訪問者が西本願寺の落ち着いた雰囲気と美しい建築に心を癒されたと感想を述べています。

寺の広々とした境内は静寂に包まれ、訪れる人々に穏やかな安らぎを提供していることが伝わってきます。この場所が歴史と現在を繋ぐ貴重な空間であることを実感できるでしょう。

西本願寺にお得に行く方法とは?

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京都には、西本願寺以外にも新選組の史跡がたくさんあります。
ぜひゆっくりと堪能してみてくださいね!

まとめ

西本願寺は、新選組の歴史が息づく地としても知られ、その美しい建築と広々とした境内が訪れる人々に穏やかな安らぎを与えます

また、無料の駐車場が整備されているため、車でのアクセスも容易です。歴史を感じる一方で、静かな雰囲気の中で心が癒される場所として、多くの訪問者に愛されています。

たくさんの国宝や重要文化財がありながらも落ち着いた雰囲気の西本願寺を、ぜひ堪能してみてください。

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